2019年3月例会  「3・1独立運動100周年から考える」

3月10日(日)団地住民センターにおいて、34名の市民の皆さまの参加で、第72回例会を開催しました。

講演テーマは、「3・1独立運動100周年から考える」です。日本ではあまり知られてこなかった「3・1独立運動」とは、植民地時代の朝鮮に起こった大規模な抗日運動です。
朴槿恵政権を倒したキャンドル市民革命の源流ともいわれるこの運動が、今年100周年を迎えたことを期に、改めて朝鮮と日本の関係を考えようと今回の講演が企画されました。
講師は、「只、意志あらば―植民地朝鮮と連帯した日本人」(日本経済評論社)、「常盤の木―金子文子と朴烈の愛」(同時代社・翻訳)などの著作のある後藤守彦さんです。


以下に講演の概要を記します。

1. 近代以前の日朝関係
 古来、朝鮮は、大陸の文化、宗教、技術を日本に取り次ぐ大恩人です。豊臣秀吉の朝鮮侵略の傷跡は消えませんが、鎖国政策をとっていたといわれる江戸時代においては実際には朝鮮との貿易や使節の来日があり、また、隣国ゆえに生じる問題には人道的な対応が双方にありました。


2. 植民地化の過程と3・1独立運動
 近代、世界で植民地確保競争が展開される中、明治期の日本は、「脱亜入欧」を目指し、「パワーポリティクス」(弱肉強食)の論理で、「富国強兵」路線をとり、朝鮮への軍事行動を開始、 朝鮮侵略の過程で日清・日露の戦争を起こし植民地化を完成しました。
 日本が徹底した軍事支配と同化政策を行う中で起こった3・1独立運動は、1919年3月1日に始まり、全国各地で100~200万人が参加し、3か月続いた運動であり、「民族自決権」や「人類平等主義」を謳った「独立宣言書」の朗読や「独立万歳」を叫ぶ示威行進など、非暴力主義を基本とした運動でした。
 しかし、このような文明的行動に対して日本が行ったのは極めて野蛮で残虐な殺戮で、これは関東大震災時に行われた朝鮮人虐殺にも通じるものです。
 敗戦を迎えて、結果として明治政府のとった路線は、日本に300万人、アジアに2000万人の犠牲をもたらしました。


3. 戦後の日朝関係
 今、徴用工判決をめぐり日本政府は、1965年の日韓基本条約、4付属協定(請求権協定)を根拠に韓国に対し強硬な態度を示し、マスコミも概ねこれに同調しています。しかし、この協定は韓国が軍事独裁政権下で結ばれたものであり、国民の意思を反映したものといえません。また、日本政府は、故意に解釈の転換を行っており実に不誠実な対応です。
 戦後日本は、朝鮮に対して一貫した謝罪の態度を示してきませんでした。日本に根本的責任が問われるところの朝鮮戦争においては、米軍の後方支援の役割を担い、これが高度経済成長の基礎となったことは皮肉な事実です。大戦直後の混乱期でさえ日本は姑息な手段で朝鮮を排除し、差別化をはかりました。その差別政策は今に続きます。


<ホームページ担当者から>
 近年韓国は、キャンドル市民革命により民主主義を発展させました。
それに引き換え、日本では民主主義の劣化が進行しています。意図的に知らされてこなかったと思える歴史的事実が3・1独立運動の他にもあり、まずは過去の歴史認識から学び直しが必要と感じました。
 日本が近代に選ばなかったもう1つの道、アジアとともに歩むという道を現代日本が選択できるよう働きかけを続けることが大切であるということを学びました。


講演の休憩時間に、後藤さんが音楽(CD)を用意してくれました。東京朝鮮中高級学校合唱部による「コヒャンエ ポム」(故郷の春)という歌で、若く清らかな歌声に耳を傾けました。
「9条改憲NO!平和といのちと人権を!5・3憲法集会 2018」ステージでの東京朝鮮中高級学校合唱部のみなさんのスピーチと歌声はこちらからご覧いただけます。

講演の詳しい内容は、後藤守彦さんのレジュメ(☚click)をご覧ください。