7月例会 第34回平和集会(札幌)に参加

札幌市「かでる2・7」で開催された「7・7平和集会」に、北広島九条の会からは11人が参加しました。

「7・7平和集会」は、日本のアジア侵略の歴史を反省し、平和を願い、日本の軍拡に反対することを目的に、日中戦争の契機となった盧溝橋事件の日(7月7日)に毎年行ってるものです。今年は34回目の平和集会でした。

講演の演題は、「いま、日本を『戦争前夜』にさせないために安倍改憲を問う―日本国憲法の原点の解明―」、講師は、笠原十九司さん(都留文科大学名誉教授)。
笠原さんは、中国近現代史・日中関係史・東アジア国際関係史がご専門で、近著「増補 南京事件論争史」「日中戦争全史(上・下巻)」をはじめ多くの著作を執筆されています。


以下に講演の概要を記します。

前段として、―中国と日本の“記念日”の持ち方の違いについて―

中国では、日本の侵略戦争に関わる事件のあった日をその悲劇や屈辱を忘れないための記念日として設けています。しかし、日本では対照的に、「富国強兵」路線の象徴である明治天皇や戦争責任が問われる昭和天皇由来の日が、名称こそ「文化の日」や「みどりの日」と変えられながらも、祝日と決められています。(文化の日は、戦前は明治天皇の誕生日である明治節でした。みどりの日は、1989年から2006年まで昭和天皇誕生日の4月29日でした。)また、11月23日の「勤労感謝の日」は、皇室の重要行事である“新嘗祭(にいなめさい)”の日であり、戦前の祭日をそのまま休日にしています。過去の侵略戦争の反省という歴史認識が風化することを図っているかのようです。


―幣原喜重郎、その人物と外交政策そして9条発案者説について―

明治と昭和の狭間にあって日本社会に民主主義のムードが高まったのが大正時代です。この大正デモクラシーを国際政治の場で実践したのが、幣原喜重郎でした。軍部、財界、そして民間までもアジアへの進出・侵略に前のめりになり権謀術数を繰り出して中国への利権を拡大しようとする中、幣原は、駐米大使あるいは外務大臣として、時の政権とともに中国への内政不干渉を貫き、国際協調を前提に相手国との信頼関係を築きながら平和、軍縮に尽力しました。そして、それは、戦争違法化、恒久平和をめざした国際的機運にも適うものでした。しかし、日本国内ではこれらが軟弱外交と批判され、満州事変により外相を辞任、幣原外交は終焉を迎えることになります。


幣原は、その後の十五年戦争を「国賊」とまで非難されながら耐え抜きました。
そして、敗戦を迎えたとき、図らずも昭和天皇から内閣組閣を命じられ、総理の職についた幣原は、敗戦直後目にした光景、そして自身の外交理念や体験、また現実的な国際関係からも、日本は、自発的戦争放棄国になるしかない、むしろ軍縮実現のための世界史的任務を受け持つ好機であると確信します。幣原は、「戦争放棄」と「象徴天皇制」をセットにして新しい憲法に盛り込むことを発案し、マッカーサーと密約を結びました。
この幣原発案説は、周辺の事実や証拠から証明できる歴史的真実である、憲法9条がGHQによる押し付けであるという議論は誤りですと笠原さんは言います。


―日本を戦争前夜にさせないために―

戦争は、何らかの偶発的事件をきっかけに突然起こるものではなく、戦争前史さらには戦争前夜と呼ぶべき段階(ターニングポイント)があり、前夜ともなれば、偶発でも謀略でも直ちに戦争は勃発するといいます。
先の大戦でのターニングポイントは、大正デモクラシーから昭和ファシズムへの転換をはかった田中義一(長州閥)内閣 にありました。
今、同じ長州閥である安倍首相は、教育基本法改悪・特定秘密保護法・安保関連法・共謀罪法などを成立させることで9条の外堀をすでにうめており、今行われている参議院選では憲法改正を公約に挙げてのぞんでいます。これで、与党が勝利すれば、国民の信を得たとばかりに改憲を強行してくるでしょう。改憲が実行されればまさに戦争前夜となります。そして周辺諸国との領土問題や朝鮮半島の核ミサイル問題など紛争から戦争への火種は用意されています。


今そこに戦闘が起こっていなければ、戦争の気配を感じることは難しく、私たちは気づかぬうちにそのターニングポイントを見逃してしまいます。
過去の歴史を学び、それを教訓として今何が起こっているのかを見極めることが肝心です。

 

<ホームページ担当者からの補足>

2016年に「報道ステーション」で「憲法9条の発案者は幣原喜重郎」という内容での放送がありました。
その放送を受けて、「憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎の発案でであるという結論でほぼ決まりだろう」との記事が、WEB上で2016年7月19日付で掲載されています。こちらからご覧いただけます。