2020年9月例会 「イトムカからのメッセージ」ー徴用工問題を考えるー

 9月12日(土)団地住民センターにおいて、9月例会を開催しました。当初3月に実施する予定の講演会が新型コロナ感染症が広がる中で半年後の開催となりましたが、市内外から35名の方が強い関心をもって参加してくださいました。

 演題は「イトムカからのメッセージ ―徴用工問題を考えるー」。講師は、「慰霊碑を建てる会」の代表で、元高校教諭の木村玲子さんです。

 
 「慰霊碑を建てる会」の正式名称は、「イトムカにおける朝鮮人・中国人の強制連行・強制労働による犠牲者の慰霊碑を建てる会」です。木村さんのお話は、そのような運動をするに至った経緯や動機、そして、これまでの活動とこれからの課題、また、いまだ解決していない徴用工問題に及びました。
 木村さんから、自らの著作である「イトムカからのメッセージ」を参加者一人一人にプレゼントして頂き、私たちはその中の掲載写真などを参照しながらお話に耳を傾けました。


<イトムカというところ>

 「イトムカ」(現北見市留辺蘂町)とは、石北峠を東に下った標高の高い寒く雪深い場所で、ここに良質な水銀が取れる鉱山がありました。
 かつて「東洋一の水銀鉱山」と呼ばれ繁栄した町イトムカに戦後に生まれ、14歳までを楽しい思い出とともに過ごした木村さん。札幌に移り、後に高校教諭としての人生を歩み終えようという時、鉱山関係者の記念文集「思い出のイトムカ」の編集に携わる中でイトムカが強制連行・強制労働の現場であったという、埋もれた歴史を再確認し、葛藤が始まります。

 その後、郷土史研究家や日中友好協会メンバーその他多くの市民活動家の人権運動にかかわる中で知識と関心を深め、また、戦後中国に帰国した生存者やその家族の方々との交流を経て、木村さんの想いは、故郷イトムカに犠牲者の慰霊碑を建てたいという願いに結晶していきました。


<強制連行・強制労働(今なお続く徴用工問題)>

 日本は、戦時中不足する労働力を補うため4万人近い中国人を強制連行し,そのうち7千人近くの人が犠牲となりました。
 北海道では、強制連行に1つの先導的役割を担った北海道の土建業者である旧地崎組(現岩田地崎建設)が、1944年3月、強制連行の第1陣として500人近い中国人を連行、イトムカ、置戸、赤平町平岸、愛知県大府などの出張所の土木作業現場を引き回し、使役しました。非道な虐待、過酷な労働、劣悪な生活環境により多くの犠牲者や傷病者を生みました。

 日本は、戦後韓国及び中国とそれぞれ日韓条約「日韓請求権協定」、日中平和友好条約を結び、これを根拠に賠償請求を拒否しています。しかし、個人による賠償請求裁判は今も続いています。判決は軒並み敗訴ですが、その判決文や付言には国や企業の責任を指摘し、被害者救済への努力を求める文言もみられます。前述の旧地崎組への提訴はまだ和解に至っていませんが、謝罪、賠償、記念碑などを条件とした企業との和解の実績を積み重ねることで、それが国を動かす力になるかもしれません。


<記念碑・記憶の継承について>

 戦時、イトムカの企業、旧野村鉱業は、軍需産業用の水銀の増産を求められており、鉱山周辺の開発や整備に連行された人々が使役されました。最初に強制労働が行われた人権侵害の一つの象徴的な場所です。その後、野村興産KKとなり、水銀などのリサイクル業として現在も稼働している企業ですが、敷地内に慰霊碑を建てるという木村さんたちの提案には拒否の態度を示しました。
 木村さんは、留辺蘂町内に3か所の慰霊碑の候補地を見つけ、建立のための募金を集め、現在建立地の選定を行っています。

 木村さんは、記憶の継承の大切さを訴えます。活動の中で知り合った愛知県立大学の樋口 浩造先生は、調査団との中国訪問や訴訟裁判などに学生を参加させるなどの教育を継続して行っています。被害者の痛みに心を寄せるような体験を通して学生たちは自らの問題意識やその後の人生観に深く影響を受けたと語っていたそうです。そのような学生たちの言葉を引用し熱く語ってくださいました。
 イトムカに犠牲者の慰霊碑を建て、毎年追悼式を行う。そのことが記憶を呼び覚ますきっかけになってくれれば…、と木村さんは願い活動を続けています。

 
 講演のレジュメと資料(PDF)はこちらからご覧ください。

 「コロナ禍の中、イトムカで第7回追悼式」の記事はこちらからご覧いただけます。