エッセイ~「私の”必需品”」

大学で一応、憲法の講義を受けた。
担当教官は、知る人ぞ知る故K先生だった。出席は自由で、試験さえ受ければ単位がもらえると聞き、その気になった私は最初と最後の授業だけ出席して試験に臨み、なんとか単位だけは取得することができた。つまり、何も学ばなかったわけである。

憲法の役割も基本的理念も理解せず、当然、立憲主義や国民主権、基本的人権、平和主義についてもよく分からないまま生活してきた。そんな私が当たり前のように「憲法九条の会」と出会ったのは、憲法を仕事に選んだ夫のせいだろうか。

「まなび座」で憲法に関するいろいろなテキストを読んだ。
読んでいる時はなるほどと納得するが、読み終われば忘れるの繰り返しだが、少しは蓄積ありと思いたい。

前回のテキスト「改憲問題Q&A」(岩波ブックレットNo.891 自由人権協会編)では、人権の歴史を確かめたくなって、年表を作ってみた。
 ・1215年 イギリスのマグナカルタ
 ・1642年 同上、清教徒革命
 ・1688年 同上、名誉革命と89年権利の章典
 ・1776年 アメリカ独立宣言
 ・1789年 フランス人権宣言
 ・1948年 世界人権宣言

こうしてみると、それぞれをこれほど興味深く眺めたのは始めてのような気がする。

同じ頃、DVD「ヘンリー8世」、イギリスのTVドラマ「ダウントン・アビー」、中国は清朝の後宮ドラマ「宮廷の諍い女(いさかいめ)」などを観ていた私。豪華な宮殿に美しい衣装、美男美女のロマンス、権力闘争に陰謀ととても面白い。君主や皇帝の非道、横暴。自由も権利もない大多数の人や女性。侵略や戦争は当たり前、平等のかけらもない世界。ソファに座って柿ピーをつまみながらテレビで観るにはいいけれど、自分がその時代に生きるとしたらたまらない。どう考えても現憲法下の日本の方がありがたい。

その日本国憲法にうたわれる、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義は世界の歴史とつながっている。長い時間をかけ、人々が知恵と勇気を注ぎ、時には大変な犠牲を払って手にしたものだ。大切に育てたいけれど、実際は私の望む方向とは真逆に進んでいるのではないか。安倍政権の目指す改憲は、天皇の元首化で国民主権をないがしろにし、公を盾に人権を制限する。集団的自衛権行使や国防軍の創設で平和主義をぶち壊す。また、世界の多くの紛争地やテロリストの支配地域では、人権の保障などまったくない。

それでも私にも出来ることはあるはずだ。
関心を失わないこと。知ろうと思うこと。一人では読めない本や資料も、誰かと一緒なら読めるし、理解も深まるというもの。意志の弱い怠け者の私には、これからもずっと、「まなび座」が必要だ。(M.T)