2024年6月例会「アジア太平洋戦争への道~近代日本の戦争を考える」

 「満州事変(昨年11月例会)」、「日中戦争(本年3月例会)」に続いて、今回は「アジア太平洋戦争」について、星槎道都大学専任講師の後藤啓倫さんのお話を伺いました。


 日中戦争の延長線上で日米戦争が始まると、それがアジア太平洋戦争の中心となり多くの人々が犠牲となりました。
 しかし、日米衝突の原因を明確な利害対立に求めるのは困難で、専門家の間でも議論されています。日中戦争には中国での権益の確保・拡大を狙う日本と、それを阻止しようとする中国という構図がありました。日英間には、日本の中国での勢力拡大がイギリスの権益を脅かし東南アジアにおけるイギリスの植民地の脅威となる、という利害の対立がありました。


 しかし、アメリカは中国に関して特別な権益を確保していたわけではなく、自由貿易を強く求めていたにすぎません。日本は、蒋介石政権を屈服させ蒋政権を支援するイギリスを屈服させるという方針の一方で、アメリカに対しては戦意を喪失させるというのが方針でした。にもかかわらず、日米戦争は始まりました。


 世界恐慌に際して、アメリカはニューディール政策とドル・ブロック、イギリスはポンド・ブロックの形成で対応します。しかし、それほどの植民地・資源・経済力を持たない日本は、自力で経済圏を創り出すために実力行使(戦争)もやむなしと考えるようになりました。その流れが満州事変以降の展開です。日中戦争が長期化する中でドイツのポーランド侵攻に対して英・仏が宣戦し第2次世界大戦が始まりました。1年足らずでドイツはヨーロッパの大半を制圧しました。東南アジアに植民地を持つ仏・蘭はドイツに降伏し、英も植民地に手が回りません。


 こうして東南アジアに権力の空白が生じ、日本では陸軍を中心に南方進出論が浮上します。ドイツのイギリス打倒に協力することで、日本が東南アジアを植民地化しようとしたのです。大東亜共栄圏構想を発表し、日独伊三国同盟を締結しました。アメリカに対しては、同盟が日本の構想を妨害させないための牽制となることを期待しました。南方進出に備えて日ソ中立条約も締結します。
 一方アメリカはドイツを強く警戒し、そのため孤軍奮闘するイギリスを支えることが重要でした。こうしてイギリス防衛という観点から日本の東南アジア進出を阻止する必要に迫られ、ヨーロッパとアジアの情勢が連動して東南アジアが日米対立の焦点となりました。特に南部仏印(南部フランス領インドシナ:現ベトナム南部)進駐は日米対立を先鋭化させますが、アメリカにとってはイギリス支援が最重要で、日本に対する手段はあくまで経済制裁でした。


 しかし、石油輸入の9割をアメリカに依存していた日本にとって石油禁輸措置は死活問題で、陸海軍は石油獲得のために今日のインドネシア進出を主張するようになりました。アメリカとの外交交渉を継続する一方で、対米戦争も辞さずという考えが登場してきました。とはいえ、対米開戦まで一直線に進んだわけではありません。開戦を主張する東条英機が首相となったのも、強硬な開戦論の陸軍を統制できるのは現役陸軍大将の東条しかいないという判断からでした。アメリカにもハル・ノートと同時に提示されるはずだった暫定協定案がありましたがそれは提示されず、日米交渉は最終盤で決裂し戦争は始まりました。


 国力で圧倒的に劣る日本がアメリカと開戦したのは無謀といわれますが、開戦時点での太平洋における戦力を比較してみるとそうとはいえません。五分五分かむしろ日本が優位に立っていた面もあります。しかも、アメリカはドイツとも戦わなければなりませんでした。したがって、短期決戦なら勝利可能とした判断は、当時の指導者たちのある意味「合理的な計算」によるものだったともいえます。


 しかし、開戦後は初期の優位だけで、陸軍と海軍の方針の相違や補給路の軽視など様々な要因から半年後には負け戦モードに入り敗戦まで挽回できませんでした。日本は主敵を英・中に絞ってアメリカとの戦争を回避しなければなりませんでした。


 一方アメリカは日本の暴発を防ごうとしながらも、日本を追い込みすぎてアジア・ヨーロッパでの二正面作戦を強いられることになりました。特に日米間には決定的な利害対立があったわけではないにもかかわらず、日本はアメリカの「継戦意志を喪失せしむる」というあいまいな目標のもとに戦端を開いてしまいました。その後も戦争理由や決着の付け方がよくわからないままに現状を追認していきました。まさに丸山真男がいうところの「無責任の体系」のなかで、日本人310万人・米軍軍人10万人・アジアの人々2000万人以上という犠牲者を出しました。しかも戦争の割を食うのは、いつもながら戦勝国・敗戦国問わずに戦果の末端にいる人々です。


<HP担当者からのひと言>
 後藤先生の話を聞いてあらためて思うのは、この国は戦争をしてはいけないどころかできない(どれほど軍事力を持ったとしてもそれを活用する能力を持たない)国だということです。
 『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』(堀川 惠子 講談社BOOK倶楽部)というノンフィクションがありましたが、アジア太平洋戦争当時の指導者がいかに兵站を軽視していたかよくわかります。