2023年3月例会 「戦後ソ連とロシア -ウクライナとの関係-」

 ロシアのウクライナへの侵攻が始まって1年。
 3月例会では、ロシア近現代史研究を専門とされている静岡県立大学名誉教授の西山克典さんにお話を伺いました。西山さんは大学を退官された後、北広島市内に在住されています。

 
 西山さんは、いまだ終わらないウクライナとロシアの戦争をそれぞれの国の歴史を踏まえて検証し、「停戦」と「講和」のプロセスについて提案されました。
 約1時間半の講演の要点を北広島九条の会の責任でまとめました。
 詳細は、当日の講演レジュメを補強した文書(☚click)をご参照ください。


 ロシアがウクライナに侵攻を開始して1年あまりが経過しました。この間、昨年4月には、「勝利なき平和」「国連決議に基づく平和の達成」「日本の支援のありかた」「平和の達成という視点からの報道」などの提言を「私」的声明という形でまとめてみました。
講演レジュメを補強した文書の最後のページに、2022.4.18付の「私」的声明が掲載されています。)

 今回のロシアとウクライナの戦争については、ソ連・ロシアとウクライナの関係を歴史のなかに位置づけて見ていく必要があると思います。


 まず、ロシアの歴史です。
 20世紀は戦争の世紀といわれますが、戦争の在り方が文字通りの「総力戦」となりました。その中で第1次世界大戦中に起こったロシア革命は、無併合・無賠償、民族自決など「平和」を大きくアピールしました。その流れのなかで1928年には不戦条約も締結されました。
 しかし、ソ連のスターリンはドイツのヒトラーと1939年に独ソ不可侵条約を結ぶとポーランド侵攻やフィンランドとの戦争などに踏み切り、独ソ戦が始まると最終的にはドイツ軍を退けましたが甚大な犠牲を余儀なくされました。この大きな犠牲は「祖国」の擁護を国民に求めるようになり「国家主権」が強調されるようになりました。
 ペレストロイカを経て1991年にソ連が崩壊すると、ロシアは混乱の時代となりました。そのなかで大統領となったのがプーチンでした。彼はこの混乱を収拾して「ロシア」を再建しましたが、その歴史観は18世紀の女性皇帝エカチェリーナ2世を好み、革命とレーニンを歴史的なロシアを崩壊に導いたとして否定しています。エカチェリーナのウクライナ政策がプーチンの志向の基礎にあります。2020年の憲法では「ロシア連邦が千年の歴史で統一された国家」であると規定されています。


 ウクライナは複雑な歴史を持っています。
 古くはモスクワがまだ辺境の地だったころには先進地帯でしたが、エカチェリーナ時代にロシア帝国に併合されます。ロシア革命が起こるとソヴィエト連邦を構成する共和国の一つとなり、農業・鉱工業などソ連の経済を支えました。ソ連崩壊によって独立しましたが、民族構成・宗教が複雑で国内の統一に困難を抱えるとともに、ロシアとの関係にも難しさがありました。大統領選挙では、親ロシア派の大統領が勝利したり敗北したりしています。
 21世紀には「オレンジ革命」「マイダン革命」などを経て、ポロシェンコ大統領のもとで民族国家主義へ傾斜していきます。ロシアとの対立が深まるなか、国内では ロシア系住民との対立が高まります。「ミンスク合意」(2014年~2015年)では、停戦と外国軍の撤退、ロシア系住民の多い東部2州に「特別な地位」を認めることなどが確認されましたが実現しませんでした。
 ロシアの侵攻が始まると、ゼレンスキー大統領は戒厳令を布告して総動員体制に入り議会・政党の活動も制限しました。


 今後の展望について述べます。
 ミンスク合意と国連総会決議の和平構想に基づいた解決を目指さなければならないでしょう。ロシアもウクライナも、地域と歴史の多様性、地域住民の民主主義に基づく連邦国家を形成していくことが必要です。その際、「人権」という視点が重要です。報道も戦況だけでなく、「平和」の実現という視点からの報道がメディアに求められます。
 民主主義と平和の実現に向けて、議会や選挙といった制度にもまして思想と運動が重要です。軍事力とその均衡抑止や軍事同盟強化の思想ではなく、国連憲章と国際法を踏まえて平和に生きる「人権」という思想が求められます。そして、私たち日本国民は日本国憲法の前文と第9条、国家の交戦権否定の歴史的意義をあらためて認識する必要があります。