明治憲法にしばられっぱなしの時代から、敗戦によっての開放されっぱなしの時代も70年の歳月を経た。政治家の世界も、世襲三代目さんが、ぼつぼつ目につくこの頃である。
時代が変われば意識も変わるのが世の習い、受け次いだDNAか、本人の信念か、重要法案を閣議決定のみで通し、軍靴の音がみしみし床を這って迫って来る。近隣国の領海侵犯やミサイル発射等々が、改憲の足並みに拍車をかける。
ここで、ずぶの素人ながら憲法への関心を新たにせざるを得ないこととなった。
昭和21年11月3日新憲法公布。
昭和22年5月3日新憲法施行。
本年は新憲法公布70年、来年は新憲法施行70年の節目をむかえることとなる。
一般的には、憲法と口にしただけで、むつかしく、読むのも厄介なしろものとしての印象がつよい。が、自由平等、男女同権、発言の自由、表現の自由、その他もろもろの自由。
現在では、ごく当り前の自由がテンコ盛りとなって押し寄せたのは、これぞまさしく、新憲法のなせる技。
とは言え、あまり憲法のご厄介になった意識がないのは、人間として生きる当然の生活を、さまざまな圧迫から開放された故に、明治憲法のしばりの強さが先に来る。
占領国となった戦後生活は、敗戦国にありがちの内戦も争乱もなく、世界の国々から、驚きの目を見張らせるところとなった。
識者の言によれば、
「憲法は権力者の暴走をしばり、善意の弱者を保護するために働く」と言う。
「憲法第9条第2項、陸、海、空その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
なんと、わかりやすい文言ではないか。
空襲警報の発令が鳴る度に、必死に守って来た娘の花嫁衣裳一式が、一升マス一杯の米に変身しようとも、家の中に、夫も兄弟も息子もいる安心感。
「軍隊も武器も兵器も持たせずマルゴシにしたと言うことは、アメリカは、よっぽど、日本軍がおっかなかつたんだろうね。」国やぶれても、一点かちぼしを見つけて、主婦達の井戸端会議は明かるかった。
国民の代表である衆参両院議員の与党は7月の参議院議員選挙により衆参合せて三分の二以上の議員数を得た。
しかし、先の識者の言う、しばられる側の権力者である現政権の在任中に、憲法改正をねらう発議は納得しがたい。拙速である。
此処に来て、忘れることの出来ない発言に出合った。
自ら反戦ジャーナリストと名乗り、故郷の秋田にて、週間新聞「タイマツ」を発刊し発信し続けた、むのたけじ氏の言葉。
「憲法第9条を、ありがたがってはいけない、憲法9条を振りかざして、行動するときが来たのだ。」
これを遺言となして8月21日101歳の生涯を閉じた。
憲法第9条をただの書面として祀り上げるのではなく声を大にして働きかけることが大切なのだ。(M.S) 註:ご本人の了解を得て、短歌誌「新懇」2016年10月号から転載しました。