北広島9条の会

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九条、他もろもろ

2024年10月27日 by スタッフ

63年の人生を振り返ってみて、本当に我が国史上最も良い時代を生きたと思う。

農家生まれの田舎育ち、小さかったときは貧しかった....という記憶のカケラはあるが、団塊の世代にはほぼ完全にハズれ、高度経済成長のはしりに乗って、青年時代はほどほどのゆとりある大学生活を送ることができた。

学生運動もほぼ収束し安定した社会と経済発展とともに卒業後、社会人になってからは“農”の道に入った。

当初、冷災害等でひどい痛手を被ったこともあったが、気付いてみれば40年の道のりを経ていた。その間、米余りから減反・転作が農政の柱となり、食管法撤廃、食の安心安全、多様化、栄養、グルメ、健康、環境保全、輸入自由化への動き.....食にまつわる国内外の複雑な要因にさらされ続けたが、よき家族を持ち、良き地域社会と人々に恵まれ、ほぼやりたいことをやって、さほど後悔の念もなく、現在の姿にたどり着いていたという次第。しかも、後継者に引き継ぎができるところまで来られたことは本当に喜ばしいことと思う。

先の大戦後72年が過ぎ、翻ってとりあえず安穏とした日本から目を転じ世界を見れば、紛争の惨禍が満ちあふれ、不本意に翻弄された人生を送らねばならない難民のなんと多いことか。

つらつら思うに、私が今あるのは冒頭述べたように明治以降、近代日本においては類い希なる平和と人権が尊重される時代に生まれ、生きて来られた賜物であったからと思う。私の両親、祖父母、さらにその前の時代はずっと貧乏と戦争の影が暮らしに入り込み、生きる(食べる)ことのみの生活で、“夢”ある人生を全うすることがほぼ封じられていたのではなかったか。

だが、今の世相は紛争、テロ、ミサイル攻撃など迫りくる外国からの脅威に対抗するため、自国を守るための自衛隊から同盟国とともに他国をも攻めることのできる軍隊を持てるよう改憲を前提に対策をすべしという声、70年という不戦・平和な時代は現憲法下でひたすら専守防衛のスタンスに徹してきたからという護憲の声、どちらも平和を希求していると思われるのに、真逆からのアプローチになっている。

仮にこの大きな選択をなさなければならなくなったときは、私は迷わず後者をえらぶ。子や孫たちが夢を持って生きられる社会の継続を思うとき、この70年積み上げてきた自衛隊員がただ一人として戦争や紛争で戦死していないという世界に類のない誇るべき普遍的な価値、これをもっともっと積み上げる方向で行くべきと考えるのである。

なんと現実を直視しない無責任な夢想家と思われるかもしれないけれど、現代は力による平和は世界中どこを探してもないように見える。なんといっても一番の国防力を高める方法は国民一人一人の“民度”(自立、知性、教養、品格、労働、健康、涵養、情熱.......)を高めることだと思う。軍備で全てのスキを埋めるという発想ではなく、他国には「あぁこの国民にはツケ込むスキがないだろうな」という、国民の“民力”を高めていく努力が求められるだろう。

公教育は国の専権と捉えず、画一でない、地方ファーストで地域の文化を土台にした多様性を持って民度・民力を高めること、それを束ねて現下の日本国憲法を頂けるのであれば鬼に金棒の日本ができるに違いない。

私のような農家は、時を越えて豊かな恵みをもたらす農地を後代の人々に残していかなければならないと思っている。民度を高めることを約束するのは“平和”と健康を維持できる“食べ物”にほかならないのだから。(K.T)

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今このとき

2024年10月27日 by スタッフ

明治憲法にしばられっぱなしの時代から、敗戦によっての開放されっぱなしの時代も70年の歳月を経た。政治家の世界も、世襲三代目さんが、ぼつぼつ目につくこの頃である。

時代が変われば意識も変わるのが世の習い、受け次いだDNAか、本人の信念か、重要法案を閣議決定のみで通し、軍靴の音がみしみし床を這って迫って来る。近隣国の領海侵犯やミサイル発射等々が、改憲の足並みに拍車をかける。

ここで、ずぶの素人ながら憲法への関心を新たにせざるを得ないこととなった。

昭和21年11月3日新憲法公布。
昭和22年5月3日新憲法施行。

本年は新憲法公布70年、来年は新憲法施行70年の節目をむかえることとなる。
一般的には、憲法と口にしただけで、むつかしく、読むのも厄介なしろものとしての印象がつよい。が、自由平等、男女同権、発言の自由、表現の自由、その他もろもろの自由。

現在では、ごく当り前の自由がテンコ盛りとなって押し寄せたのは、これぞまさしく、新憲法のなせる技。

とは言え、あまり憲法のご厄介になった意識がないのは、人間として生きる当然の生活を、さまざまな圧迫から開放された故に、明治憲法のしばりの強さが先に来る。

占領国となった戦後生活は、敗戦国にありがちの内戦も争乱もなく、世界の国々から、驚きの目を見張らせるところとなった。

識者の言によれば、
「憲法は権力者の暴走をしばり、善意の弱者を保護するために働く」と言う。

「憲法第9条第2項、陸、海、空その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
なんと、わかりやすい文言ではないか。

空襲警報の発令が鳴る度に、必死に守って来た娘の花嫁衣裳一式が、一升マス一杯の米に変身しようとも、家の中に、夫も兄弟も息子もいる安心感。

「軍隊も武器も兵器も持たせずマルゴシにしたと言うことは、アメリカは、よっぽど、日本軍がおっかなかつたんだろうね。」国やぶれても、一点かちぼしを見つけて、主婦達の井戸端会議は明かるかった。

国民の代表である衆参両院議員の与党は7月の参議院議員選挙により衆参合せて三分の二以上の議員数を得た。

しかし、先の識者の言う、しばられる側の権力者である現政権の在任中に、憲法改正をねらう発議は納得しがたい。拙速である。

此処に来て、忘れることの出来ない発言に出合った。
自ら反戦ジャーナリストと名乗り、故郷の秋田にて、週間新聞「タイマツ」を発刊し発信し続けた、むのたけじ氏の言葉。

「憲法第9条を、ありがたがってはいけない、憲法9条を振りかざして、行動するときが来たのだ。」

これを遺言となして8月21日101歳の生涯を閉じた。

憲法第9条をただの書面として祀り上げるのではなく声を大にして働きかけることが大切なのだ。(M.S) 註:ご本人の了解を得て、短歌誌「新懇」2016年10月号から転載しました。

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危険な「緊急事態条項」

2024年10月27日 by スタッフ

危険な「緊急事態条項」(2016/2/4)

参院選を控え、安倍首相は、あれほど言っていた「安保法の国民への丁寧な説明」もないまま、憲法改正を口にし始めた。

国民の理解を得やすいよう、大規模災害時に首相の権限を強める「緊急事態条項」を新設しようという。

しかし、緊急事態に対するには、何も憲法を改正することはない。東日本大震災で救助、復旧に携わってきた関係者の話もしっかり聞き、多方面にわたる国民的な議論を起こせばよいのではないか。

この条項が新設されれば、安倍政権お得意の拡大解釈で、政権が判断する「緊急事態」には、憲法19条の思想及び良心の自由、21条の集会、結社、表現などの自由も制限されるようになるのではないか。

デモも集会も圧力をかけられ、検閲の禁止も通信の秘密も守られなくなる恐れがある。

一番思い基本的人権までないがしろにされ、憲法の理念がなし崩しにされそうな危険を感じる。緊急事態条項は、健康な樹木を内側から食い破り、腐らせてしまう虫のようなものだと思う。(M.T)

憲法改悪まい進に不安(2015/09/28)

昨年12月、「アベノミクス」継続の是非を問うと言って衆院選に勝利した安倍首相が、「これで憲法解釈変更にも支持を得た」として今回、安全保障関連法を力ずくで成立させた。

最近の豪雨などの災害で、自衛隊員が被災者を救助する姿をテレビなどで見る。今回の安保法成立で、あってはならないことだが、自衛隊員に戦場で不測の事態が起こってしまったらどうするのだろうか。

安倍政権はここぞとばかり、自衛隊員を守るためには、自衛隊を国防軍(軍隊)にしなければならない。そのためには憲法を変えなければならないと打って出るのではないだろうか。

自衛隊員のリスクの増加が安保法を力で通した結果であることを棚に上げ、それを理由に憲法改悪に突き進む不安を感じずにはいられない。

自衛隊は現在、国民を守っている。それが軍隊になって、果たして変わることはないのだろうか。軍隊が国民に優先されることにならないのだろうか。

こんな心配が取り越し苦労に終わるよう祈るばかりである。(M.T)


(注)上記は、北海道新聞「読者の声」欄に掲載された投書を、ご本人の了解を得て転載させていただきました。

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私と戦争、私と日本国憲法

2024年10月27日 by スタッフ

 私は駒ヶ岳大噴火があった年、1929年(昭和4年)に生まれました。駒ヶ岳噴火は20世紀に日本で起きた噴火の中でも最大級といわれるものでした。私の波乱の人生は駒ヶ岳大噴火から始まったと言えると思います。

 子ども時代は戦争の時代でした。父は戦争が終わる前の年に、若くして急性肺炎で亡くなりました。当時、薬が手に入らなかったことも亡くなった原因の一つだと思います。父の妹は薬剤師の家にお嫁に行っていたのですが、多くの薬が軍に持って行かれていたので父の妹を頼っても薬が手に入らなかったのです。

 今だったら亡くなることはなかっただろうと思います。陸軍に関係したことでは函館に千代台公園がありますが、戦時中はそこに陸軍の営舎がありました。戦争が終わると陸軍の幹部たちは食料をトラックに積んでいち早く逃げて行ったと聞いています。市民の生命や生活よりも軍の方が優先されていた時代でした。

 私の生き方を変えたのは15歳の時の空襲です。1945年(昭和20年)7月に北海道空襲{注}がありました。

 昼ごろ外にいたとき突然の空襲がありました。上をちょっと向くと軍用機(グラマン)の下が開いたので爆弾が落ちてくると思ったけれど、逃げる場所もなくとっさに轍(わだち)に顔を伏せました。飛行機が遠ざかっていく姿と周囲に砂煙が舞い上がったことを覚えています。私のすぐ横50㎝位のところには機銃掃射でできた跡が残っていました。

 私は「生きていた!!」と思いました。そして戦争の恐怖を強く体感しました。実は、この日の空襲に遭うまで、私は軍国少女でした。「男だったら少年兵としてお国のために戦います」と作文に書きましたし、戦意高揚に寄与するような絵を描いて校内展覧会で入賞したこともあります。

 それから1ヶ月たち終戦を迎えはっきりと戦争を否定するようになりました。そして次の年に新しい憲法が公布されました。戦争の下で生きるのではなく「平和のうちに生存する権利を有すること(前文)」が高らかに確認されたことに感激し心からの共感を覚えました。

 私に一つ誇ることがあるとしたら、それは選挙を棄権したことがないということです。戦後最初の選挙(1946年4月10日衆議院選挙)の時はまだ20歳になっていなかったので投票できませんでしたが、20歳になってからは一度も棄権することなく投票しています。

 戦前は女性には参政権がありませんでした。新しい憲法に「すべて国民は、法の下に平等(第14条)」「両性の本質的平等(第24条)」「成年者による普通選挙を保障(第15条)」が明記され、女性にも参政権が与えられました。

 「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する(前文)」ということを胸に刻みながら、生きている限り棄権しないで投票します。(A.S) 聴き取り・文責(R.S)



{注}北海道空襲

 アメリカ海軍が1945年(昭和20年)7月14日から15日にかけて北海道各地で行った空襲の総称。一般市民を中心に死者2,000人を超える被害を出した。

 函館では、第38機動部隊から発進したグラマン50余機が7月14日早朝午前5時ごろ、横津岳(亀田郡七飯町にある山)方面から飛来して、午前11時ごろまで波状攻撃を繰り返した。

 アメリカ軍の主な狙いは、港内および津軽海峡を航行中の連絡船であったが、一部市街地にも爆弾が投下され、機銃掃射も行われた。さらに午後1時43分頃にも第2波の攻撃によって、警戒警報、続いて空襲警報が発令され、午後4時20分に空襲警報が解除されるまで、グラマン約30機による攻撃が続けられた。

 機銃掃射や爆弾の投下によって、西部地区の一部、現在の弥生町周辺では火災が発生して、約400戸の住宅が罹災し、全市で少なくとも79名の死亡が確認されている。(総務省ホームページ「函館市における戦災の状況」による)

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軽んじられる人権

2024年10月27日 by スタッフ

日本国憲法は、政府の暴走をくい止める縛りであるとともに、人権を保証した日本の最高法規である。

最近、人権について深く考えさせられる本を拝見した。それは、
① 布施祐仁著「経済的徴兵制」
② NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班編「ルポ 消えた子どもたち~虐待・監禁の真相に迫る」

の2冊である。

① は、安保法(戦争法)が施行され、集団的自衛権の行使が可能となった現在、実際、誰が武器を持ち、生命の危険を冒してまで駆け付け警護をするのか。

生活の困窮から自衛隊へと入隊する若者が、以前から居た。
現在、高校や大学の卒業時に何百万円という奨学金の返済を背負う者も少なくない。迫る返済への不安から、派遣より定職がマシと考える若者も居るだろう。

加えて、自衛隊なら社会に通用する資格が取れるというキャッチでリクルートが行われているという。

自衛官のリクルート費用は、年間200億円以上(2009年)にもなる。安保法(戦争法)が施行された今、「経済的徴兵」が現実となって来るのではないか。

② は、本人の意思や病気でもないのに、義務教育を受けられない子どもたちがいる。

保護者から虐待を受け、監禁され、学校や児童相談所、近所の誰からも気づかれずに生きていた。

やっと救い出された子どもの胸の奥の叫びを聞きながら、二度とこのような悲劇を繰り返してはならないと思う。

私たちは、こうした事柄を強く意識して、子どもやコミュニティーを見つめなければならない。(M.H)

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沈まぬ太陽

2024年10月27日 by スタッフ

時々の社会問題に鋭いメスを入れた著作を世に問うてきた、社会派作家の山崎豊子さん(故人)の作品に「沈まぬ太陽」がある。

フラグキャリヤーの労組委員長を、経営側が「気にくわない」としてカラチ、テヘラン、そしてナイロビと足掛け8年にわたり島流しにする話だが、同じようなことは、民間企業の職場では日常茶飯事であった。

小生が憲法の存在を強く意識するようになったのは、まさにこれと同じような扱いを受けたからであって、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という19条の規定は、激しい差別と嫌がらせを受ける身にとって、言わば「沈まぬ太陽」のごとくひかり輝く存在であった。

若い頃、職を得た大企業でそれこそ身を粉にして働いていたわけだが、そこには、臨時工という、今でいう非正規で働く人々がたくさん居た。彼らは、本社採用の本工とは異なり地元の事業所の採用で、仕事は主に現場の力仕事。給料は、日給・月給である。

そして、有給休暇の日数も少なかったから、仮に病気などで職場を休めばその日の賃金は支払われない。つまり、給料がそれだけ減るわけだから、おちおち病気で休むわけにもいかなかった。

こうした身分による職場支配は、結果として労働者間の対立を生み、賃上げや職場環境の改善等の経営側に対する要求のとりまとめにも齟齬をきたす要因となっていた。

そこで、自覚的労働者の間で、臨時工制度反対!が叫ばれるようになるのだが、このような「支配のしくみ」に直接触れるような要求は、経営側にとっては許しがたく、これと見定めた自覚的労働者に対しては、徹底した弾圧政策がとられた。

職場でのいじめは勿論、両親や家族に対する退職勧告、行動の監視や寮での私生活の調査等々、目を覆いたくなるような非人道的な行為が日夜繰り返えされたのである。

挙句の果て、経営側は、昇給・昇格差別、仕事の取り上げ、関係のない職掌への配置転換に加え、海外勤務の発令等々、徹底した見せしめと抑圧を実行したのだが、結局、世の中の趨勢もあり、臨時工制度は瓦解した。

昨今、ブラックバイトとかブラック企業における非人間的労働が大きな社会問題となっているが、これは今始まったことではなく上記に見るように、いろいろなかたちをとった労働者支配だから、どんな小さな問題でも職場に憲法を取り戻すたたかいとして忍耐強くたたかう必要がある。

最近、日本IBMの労働者が勝ち取った「ロックアウト解雇は無効」という東京地裁の判決は、画期的成果である。(K.O)

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皇后と憲法

2024年10月27日 by スタッフ

今は亡き母はミッチーファンでした。1972(昭和47)年2月に開催された札幌オリンピックのフイギュアスケート会場で、すぐ近くの席から観戦に訪れた皇太子妃を見ることができた、と興奮して語っていたことを思い出します。

その母の7回忌を執り行った年の10月20日、79歳の誕生日を迎えたのに際し、美智子皇后は宮内記者会の質問に文書で次のように回答しました。

「五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきるの市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。

明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘をおぼえたことでした。

長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に育っていた民権意識を記録するものとして、世界的にも珍しい文化遺産ではないかと思います。」

これは、皇后の日本国憲法への深い理解を示すものであり、浅薄な「押しつけ憲法論」者への痛打でしょう。日本国憲法の草案を作成したGHQは「民間の憲法草案」を参考にしており、日本国憲法には自由民権運動の精神が脈々と流れているのです。

『五日市憲法草案』を世に送り出したのは、東京多摩地域の自由民権運動を掘り起こしていた色川大吉東京経済大学教授(当時)でした。1968(昭和43)年の秋、五日市深沢家旧宅の土蔵から68年間埋もれていた文書を発見したのです。

私は、仙台の大学で色川大吉の集中講義を受けたことがあります。情熱的な語り口と中身の濃密さ。大学時代における最高の講義でした。その時の感動を今も忘れることはできません。

北広島九条の会の「まなび座」では、憲法学習を重ねてきました。2か月に1回、5名から10名程度が集まり、テキストの読み合わせを行っています。こうした学習運動が自由民権運動期にも全国で展開されていたのです。(M.G)

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ニュース・例会報告

  • 2024年12月例会「近代日本の戦争について考える」シリーズ・第5回」
  • 2024年11月例会「近代日本の戦争について考える」シリーズ・第4回」
  • 2024年9月「北広島近郊3町の戦争遺跡を訪ねるバスツアー」
  • 2024年8月 戦争体験を聞く会 『国後からの引き揚げと戦争の記憶』
  • 2024年6月例会「アジア太平洋戦争への道~近代日本の戦争を考える」
  • 憲法記念日 「憲法と平和・九条の会」パネル展
  • 2024年4月例会「「何のための大増税? ロシア・イスラエルの暴挙を踏まえて岸田大軍拡を斬る」
  • 2024年3月例会「日中戦争の原因と展開」

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